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大阪地方裁判所 昭和61年(行ウ)60号 判決 1990年1月29日

原告 鈴木クミ子

被告 大阪中央労働基準監督署長

代理人 小澤義彦 高須要子 小出正行 ほか四名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五五年七月二一日付けで訴外亡鈴木松男に対してなした労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  訴外鈴木松男(以下「松男」という)は、日本通信建設株式会社大阪支店の下請業者である生口電設に電話配管工として勤務中の昭和五五年二月二五日(以下「本件発症日」という)、大阪府岸和田市新春木橋南詰の作業現場(以下「本件現場」という)において、就労中に身体異常が生じ、救急車で上西病院に搬送され手当を受けた後、岸和田徳州会病院に移送され「脳動脈瘤破裂、脳蜘蛛膜下出血」(以下「本件疾病」という)と診断され療養を継続した。

2(一)  松男は被告に対し、本件疾病について労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という)に基づく休業補償給付の請求をしたところ、被告は昭和五五年七月二一日付けで、本件疾病は業務上の事由によるものとは認められないとの理由で、これを支給しない旨の処分(以下「本件処分」という)をした。

(二)  松男は、本件処分を不服として大阪労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、同五六年九月一日死亡したため、松男の妻である原告が右審査請求手続を承継した。

(三)  右審査官は同五七年九月七日付けで右審査請求を棄却したため、原告は労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は同六一年一一月一二日付けでこれを棄却する旨の裁決をし、同裁決書はそのころ原告に送達された。

3  本件疾病は業務に起因して発症したものである。

(一) 松男の基礎疾病

(1) 松男は昭和四九年に高血圧を指摘され、本件疾病による入院時においても高血圧が持続しており、高血圧症に罹患していた。松男にはその原因となる疾患はなく、右はいわゆる本態性高血圧であった。

(2) 労働者に基礎疾病が存する場合であっても、業務が右基礎疾病と共働原因となって症状を増悪させ、その結果発症に至った場合には、業務起因性が肯定されるべきである。

(二) 本件発症日における深夜の長時間運転

(1) 松男は昭和五三年以来、大阪府羽曳野市にある生口電設の現場事務所兼宿舎にて同僚労働者と共に居住し、同所から作業現場に通勤し、休日には滋賀県長浜市の自宅に戻っていた。

(2) 松男は昭和五五年二月二二日夜から自宅に戻っていたところ、同月二四日午後七時ころ、電話で雇主から翌二五日(本件発症日)早朝からの作業に就労するよう求められたため、二五日午前二時に起床し朝食をとらず、同二時三〇分に車で自宅を出発し、深夜三時間余の運転を継続して同六時過ぎに右生口電設現場事務所兼宿舎に到着し、車内で短時間仮眠をとった後、同僚の奥田稔と二人で本件現場に赴き、同七時ころ到着した。

(3) 松男に対し、真冬における深夜の起床とその直後の朝食抜きの車の運転は、その血圧の急激な上昇をもたらし、しかも深夜における長時間運転は、視界が不充分なために生ずる眼性疲労をはじめ、連続的な著しい精神の緊張を伴い、心身の疲労をもたらし、その血圧を上昇させ、持続させた。松男にとって右深夜運転は、自宅から現場事務所兼宿舎への運転ではあるが、決して日常的なものではなく、日常の仕事に比してより強いストレスの伴うものであった。これらの事情が松男の基礎疾病たる高血圧を増悪させ本件疾病を招いた。

(三) 劣悪な居住環境と使用者による健康管理の欠如

(1) 松男は前記生口電設の宿舎に居住していたが、同宿舎はあまりにも粗末で到底安眠を確保しうる場所ではなく、松男の健康を阻害する一因となった。

(2) 生口電設は法定の健康診断をまったく行わず、従業員の健康管理を怠っていた。右健康診断を行っていれば、雇主は松男の高血圧を把握し、松男に深夜長時間運転を伴う勤務を指示しなかったはずであり、本件疾病は発症しなかった。

(四) 本件疾病発症前後の状況

(1)<1> 松男は本件現場到着後午前一〇時ころ、普段同人が行う元請業者への架電を身体が大儀であるとして、奥田に依頼した。

<2> 松男と奥田は元請からの電話による作業指示を受け、二人でコンクリートの型板の取り外しや土砂の埋戻し作業をした。作業中の松男の動作は普段と異なり不活発であった。

<3> 松男は正午すぎ奥田から食事を誘われたが、気分が悪いから食事はしないと述べ、ダンプカーの運転席で横臥していた。

<4> 松男は午後一時ころ、頭や首の痛みを訴えた後、痙攣を起こし、口から泡をふいて意識を失い、その約一〇分後に救急車で病院に搬送された。

(2) 右(1)<1>の事実は本件疾病の警告徴候(小出血あるいは単なる脳動脈瘤の増大)であり、その後血圧を上昇させるような動作をせず安静にしていれば、警告徴候のみに止まり、脳動脈瘤破裂という致命的な結果は生じなかったものと考えられる。しかるにその後松男は右<2>のとおり作業に従事したため、本件疾病が発症したものであるから、本件疾病と業務との因果関係は肯定されるというべきである。

4  よって、本件処分の取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3冒頭の主張は争う。

(一) 同3(一)(1)の事実のうち、松男は昭和四九年以降本態性高血圧に罹患していたことは否認する。

(二)(1) 同3(二)(1)の事実は認める。

(2) 同(2)の事実のうち、松男は昭和五五年二月二二日夜から自宅に戻っていたこと、同人は同月二五日午前二時三〇分ころ車で自宅を出発し、生口電設現場事務所兼宿舎に到着し仮眠したこと、同僚の奥田と二人で本件現場に赴いたことは認める。但し、右宿舎に到着したのは午前五時ないし五時三〇分ころであり、仮眠したのは右宿舎内であり、本件現場に到着したのは午前九時ころである。

(3) 同(3)の事実は否認する。右宿舎は松男が居住していたところであり、松男にとっても同所も住居に該当するので、滋賀県内の自宅から右宿舎までの運転は、住居と住居との単なる往復であり、通勤ではない。また、松男にとって右運転は本件発症日に限られない従前どおりの慣行であり、出発前自宅において休養していること等からして何ら過重なものではなく、本件疾病を発症させる程の肉体的負担あるいは精神的緊張を伴うものではなかった。

(三)(1) 同3(三)(1)の事実のうち、宿舎環境が松男の健康を阻害する一因となったことは否認する。

(2) 同(2)のうち、生口電設が健康診断を行わなかったことと本件疾病の発症との因果関係については争う。

(四)(1)<1> 同3(四)(1)<1>の事実は認める。

<2> 同<2>の事実は否認する。

<3> 同<4>の事実のうち、松男は午後一時ころ頭や首の痛みを訴え、漸次意識障害をきたすに至り、午後一時五〇分ころ救急車で搬送されたことは認める。

(2) 同(2)の主張は争う。右原告の立論によると、警告徴候後はいかに軽微な作業であっても、作業につく限り業務起因性が認められることになり、正当な法解釈とはいえない。

(3) 松男は本件現場到着後、身体の異常を訴え何ら作業をしなかった。また、当日の自然条件は通常と異なるところはなく、本件発症の誘因となったとはいえない。仮に本件現場到着後、松男が原告主張の作業をしたとしても、右作業に慣れ親しんだ日常業務のうちでも軽度の作業であり、右作業と本件疾病との間には相当因果関係は存在しない。

三  被告の主張

1(一)  労災保険法に基づく給付を受けるための要件である「業務上疾病にかかったこと」とは、当該疾病が単に就労中に発生しただけでは足りず、業務と疾病との間に相当因果関係(業務起因性)がある場合、即ち業務が当該疾病の発症に対して相対的に有力な原因であると認められる場合をいう。

(二)  本件のように業務上の負傷等の災害を媒介としない脳血管疾患について業務起因性を認めるためには、当該疾病の発症原因として業務上の災害とみなし得る事実が認められ、かつ、当該災害的要因が医学経験則からみて、当該疾病の発症原因とするに足りる十分な強度を有することが要件となる。

(三)  右業務上の災害とみなし得る事実とは、当該労働者に精神的又は肉体的負担を与える業務に関連する突発的出来事等、あるいは特定の労働時間内に特に過激な業務に就労した事実をいい、右災害的要因の強度を判定するには、当該労働者の従来の業務内容に比し、質的又は量的に著しく異なる過激な業務遂行中において、強度の精神的、肉体的負担、精神的緊張又は身体的努力があったと認められることが必要である。

2  蜘蛛膜下出血は、蜘蛛膜下腔の血管の破綻による原発性のものが多く、その原因疾患のうち非外傷性のものとしては、脳動脈瘤が大部分を占め、次いで、高血圧性・動脈硬化性疾患、脳動静脈奇形などがあり、その誘発原因として、強度の精神的肉体的負担(精神的緊張、身体的努力)等をあげることができるが、蜘蛛膜下出血は睡眠時等の安静時においてもしばしば発症する。

3(一)  松男は、昭和五三年一〇月以降、通信線マンホールの構築・撤去、管路の掘削、配管、埋戻し等の作業に従事していた、松男の勤務時間は、午前八時から午後五時までであり、残業はなく、休日は毎月第一、第三日曜日及び雨天日となっており、月平均六日間の休みをとっていた。また、本件発症日前において、昭和五四年一二月二八日から同五五年一月一五日まで、同年二月一〇日から一五日まで、同月二三日と二四日は連続した休日であった。

(二)  松男の本件発症日前六か月の勤務状況は、別表記載のとおりである。また、松男の本件発症日前七日間の本件工事現場における作業内容は、一八日が分線・エアー試験、一九日が岸貝一〇着(五五メートル)配管作業、二〇日がパラペット型枠入、三着(一六・五メートル)取付配管作業、二一日が既設マンホールはつり分矢板立等、二二日がパラペット型枠はずし、埋戻し、防護コンクリート打作業、二三、二四日が休日であり、作業時間は、一八日から二一日までが午前八時四〇分から午後五時まで、二二日が午前八時四〇分から午後二時三〇分までであった。作業従事者数は松男を含め、一八、一九日が六人、二〇、二一日が五人、二二日が四人であった。

4(一)  松男の就労状況及び本件発症日の行動、本件発症日の自然状況等において、本件疾病に業務起因性を認めるに足りる業務に関連した突発的な出来事や、特に過激な業務はなく、過労等の蓄積をもたらす勤務状況でもなく、本件疾病に業務起因性は認められない。

(二)  脳動脈瘤の成因及び破裂原因、松男の就労状況、本件発症日の状況等を併せ考慮すると、本件疾病は松男の基礎疾病である脳動脈瘤が加齢等に伴い、自然に増悪し破裂するに至ったものというべきであって、業務起因性は存在しない。

第三証拠<略>

理由

一  松男は、日本通信建設株式会社大阪支店の下請業者である生口電設に電話配管工として勤務していたこと、同人は昭和五三年以来大阪府羽曳野市にある生口電設の現場事務所兼宿舎(以下「本件宿舎」という)に同僚労働者と共に居住し、同所から作業現場に通勤し、休日には滋賀県長浜市の自宅に戻っていたこと、同人は同五五年二月二二日夜から右自宅に戻っていたところ、同月二五日午前二時三〇分ころ車で自宅を出発し、本件宿舎に到着し仮眠した後仕事のため同僚の奥田と二人で本件現場に赴いたこと、松男は本件現場到着後午前一〇時ころ、普段同人が行う元請業者への架電を身体が大儀であるとして奥田に依頼したこと、松男は同日午後一時ころ本件現場において頭や首の痛みを訴え、意識障害をきたすに至り、救急車で上西病院に搬送され手当を受けた後、岸和田徳州会病院に移送され「脳動脈瘤破裂、脳蜘蛛膜下出血」と診断され療養を継続したこと、並びに請求原因2の事実は当事者間に争いがない。

二1  松男の経歴及び就労状況

<証拠略>を総合すれば、以下の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  松男は昭和一二年四月生まれであり、プレハブ住宅の組立、湖西線の鉄道工事、ガス管の埋設作業等の建築土木作業に従事し、昭和五三年一〇月以降、生口経義(以下「生口」という)経営の生口電設から当初は仕事を請け負い、その後同人に雇用されて電話線の地中配管埋設工事に従事していた。松男の勤務時間は午前八時から午後五時までで、残業は皆無であり、休日は毎月第一、第三、第五日曜日及び雨天日であった。

(二)  松男は月に一ないし三回程度休日の前日の晩に滋賀県長浜市の自宅に戻り、出勤日の午前二時半ないし四時ころ自宅を出発して仕事に行っていた。松男は、自宅と本件宿舎との往来に自家用車を用いており、その所要時間は二時間半ないし三時間であった。遅い時間に自宅を出発するときは、自宅で食事をすませていたが、早いときは本件宿舎到着後食事をとっていた。本件宿舎はプレハブ住宅の粗末な建物で、一室に多数の者が寝泊まりしており、住居環境は良いとは言い難いものであった。

(三)  松男の本件発症日前六か月の勤務状況は、別表記載のとおりであり、本件発症日前において、連続した休日は、昭和五四年一二月二八日から同五五年一月一五日まで、同年二月一〇日から一五日までと、同月二三、二四日であった。

(四)  松男の本件発症日前七日間の本件工事現場における作業内容は、一八日が分線・エアー試験、一九日が岸貝一〇着(五五メートル)配管作業、二〇日がパラペット型枠入、三着(一六・五メートル)取付配管作業、二一日が既設マンホールはつり分矢板立等、二二日がパラペット型枠はずし、埋戻し、防護コンクリート打作業、二三、二四日が休日であり、作業時間は一八日から二一日までが午前八時四〇分から午後五時まで、二二日が午前八時四〇分から午後二時三〇分までであった。作業従事者数は松男を含め、一八、一九日が六人、二〇、二一日が五人、二二日が四人であった。

2  本件発症日前及び当日の状況

<証拠略>を総合すれば、以下の事実が認められこの認定に反する<証拠略>は採用しない。

(一)  松男は昭和五五年二月二二日(金曜日)午後八時過ぎころ長浜市の自宅に戻った。同人は二三、二四日と自宅で子供と遊んだりして過ごし、そのうち一日は仕事先を見つけるため昼ごろ近くの工事現場を回った。同月二四日午後七時ころ生口から明日本件現場に来るか否かの確認の電話があり、松男は仕事に行くと答えた。同人は午後九時ころ就寝した。

(二)  松男は、翌二五日(月曜日)午前二時ころ起床し、茶を飲んだだけで食事はとらず、同二時三〇分ころ乗用車で自宅を出発し、同六時ころ本件宿舎に到着して同七時半ころまで仮眠した後朝食をとり、同八時ころ同僚の奥田稔と二人でダンプカー二台をそれぞれ運転して本件現場へ出かけた。

(三)  当時松男らが従事していた工事は岸貝局支障移転工事と言い、通信用の管路の配管(機械による掘削、配管、埋戻し等)並びにマンホールの撒去及び新設工事で、同年一月二五日から開始された。元請の現場監督が作業の指揮監督をし、松男は生口電設の責任者であった。本件発症日の作業は同年二月二二日に防護コンクリートを打設した長さ約四メートルの二条の電話管路(溝)からコンクリート型枠六枚をはずし、ダンプカー二台分の砂を用いて埋め戻し、スコップで整地する作業で、砂は現場付近から積み込むことになっていた。

(四)  松男と奥田は午前九時ころ本件現場に到着したが、松男はすぐに身体の不調を訴え、ダンプカーの運転席に横になった。両名は約一時間現場監督の到着を待ったが来ないため、奥田が指示を仰ぐため元請に電話をした。このような電話は責任者の松男がかけるのであるが、同人は身体の不調を理由に奥田に電話するよう依頼した。元請からは当日予定されていた作業を許可する旨の返事があり、奥田は午前一〇時ころからコンクリートの型枠をはずして埋戻し作業を開始し、既に同人が運んで来た砂を本件現場でおろし整地した。同人は再び砂を運んで戻り、同様の作業をした。その間松男はダンプカーの運転席に横になったままであり、何ら作業はしなかった。奥田は昼食時に松男を食事に誘ったが、松男は身体の不調を理由に断った。同人は横になったまま嘔吐した。

(五)  奥田が午後一時ころ松男に声をかけたところ、頭や首の痛みを訴えたので、運転席の外へ連れていき同人の首を暫くさすった。そのうちに松男は口から泡をふいて後方に倒れかかり、意識不明となったので、奥田は松男を横に寝かせ電話で救急車を呼んだ。同一時五〇分に救急車が現場に到着し、松男を上西病院に搬送した。

なお、奥田作成の現認書(<証拠略>)には、松男は本件発症日の午前一〇時以降、コンクリートの型枠をはずす作業や土砂を整地する作業等に従事した旨の記載があるが、松男は責任者としてすべき元請への電話を奥田に依頼するほど身体が不調であったものであり、その後右作業をしたとは考え難いこと、並びに反対趣旨の生口経義及び竹村政春の聴取書(<証拠略>)に照らし採用できない。

3  松男の健康状態

<証拠略>を総合すれば、以下の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  松男は昭和四九年八月ころ献血したときに血圧を測定し、血圧が高いので注意するよう言われたが、特段の自覚症状はなく、血圧について医師の治療を受けたことはなかった。生口電設では定期健康診断を実施しておらず、松男の血圧値に関する証拠はない。松男は同四九年に高血圧を指摘され、本件症病による入院後心電図により左室負荷が認められ、高血圧症も持続していることからして、基礎疾病として高血圧症を有していると推認できるところ、同人には高血圧症の原因となる症患が認められないことから、右はいわゆる本態性高血圧症と考えられる。

(二)  松男は同五〇年以降、同五三年六月に顔面光腺過敏症で受診し、同五四年九月に自転車に乗ったまま土手道から転落して頭部を負傷したため医師の治療を受けたのみで、他に受診歴はない。松男は右自転車事故により、入院はしなかったものの手術を受け、約一か月間仕事を休んだ。右事故と本件疾病との間には因果関係はない。

4  脳動脈瘤の成因及び破裂の機序

<証拠略>を総合すれば、以下の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  松男に対する岸和田徳州会病院での諸検査によると、CTスキャンでは脳室内出血が、腰椎穿刺では血性髄液が、脳血管撮影法では前交通動脈と右側の内頸動脈に各動脈瘤の存在が認められるところ、同人の脳室内に出血していることから、右二個の脳動脈瘤のうち前交通動脈のそれが破裂し、蜘蛛膜下腔に出血すると同時に周囲の脳組織を破壊して脳室内に出血したものと推認できる。

(二)  脳動脈瘤とは脳の動脈に発生した瘤であり、その殆どのものは先天的な血管壁の異常である動脈分岐部の小規模な中膜欠損部位が基盤となり、右血管壁が加齢や高血圧等により後天的に膨隆することによって生ずるものであり、特段の自覚症状はなく、大多数は破裂して蜘蛛膜下に出血を起こし、初めて症状が出現するものである。

(三)  脳動脈瘤が破裂する原因については、現在において定説はなく、その破裂が生じた状況に関する一九六六年のロックスレイによる報告では、睡眠中三六パーセント、特別になにもしていないとき三二パーセント、挙上・うつ向き一二パーセント、興奮時四・四パーセント、排便中四・三パーセント、性交中三・八パーセント等となっており、特別な外的ストレスがなくても破裂を起こす症例がある反面、肉体的負担や精神的緊張時に破裂が生ずる症例も存在し、外的ストレスの結果起こる血圧の上昇などは、脳動脈瘤の破裂の直接の原因となりうる。

三  右認定事実を基に本件疾病と業務との因果関係について検討する。

1  労災保険法に基づく保険給付を受けるための要件である「業務上疾病にかかったこと」とは、当該疾病が単に就労中に発生したとか、当該疾病と業務との間に条件的因果関係があるというだけでは足りず、当該疾病と業務との間にいわゆる相当因果関係が存在することを要すると解される。

本件のように、その破裂により蜘蛛膜下出血を引き起こす蓋然性の高い脳動脈瘤の基礎疾病を有する者において、その破裂により蜘蛛膜下出血が生じた場合、脳動脈瘤の破裂について業務起因性を認めるためには、業務の遂行がその者の有する基礎疾病を急速に増悪させ、その結果右発症を著しく早めたものであることなど、業務の遂行が右発症の諸原因のうち相対的に有力なものと認められる場合でなければならないというべきである。

2  松男の生口電設における就労状況は前認定のとおりであり、本件発症日前及び発症日当日においても、特に過激な業務に就労した事実はなく、過労の蓄積をもたらす勤務状況でもない。

3  松男は本件発症日において、午前二時三〇分ころから同六時ころまで乗用車を運転しており、<証拠略>によれば、車の運転は絶えず緊張を伴うものであり、持続的な血圧上昇をもたらすことが認められる。しかしながら、松男はしばしば休日に自宅に戻り、勤務日の早朝自家用車で自宅を出発していたのであり、同人にとって自宅から本件宿舎までの運転は日常的であり、本件発症日前二日間自宅で休養しており、本件宿舎到着後に仮眠していることからしても、右運転が同人にとって特段過激な精神的、肉体的負担を伴うものとはいえない。加えて、<証拠略>によれば、右運転が松男の脳動脈瘤破裂の原因であるとするならば、時間的経過からして、本件疾病はその運転中ないしは本件宿舎到着直後に発症した可能性が強いが、実際には松男は本件宿舎到着後仮眠し食事をとった後ダンプカーを運転して午前九時ころ本件現場に到着しているのであり、その直後に身体の不調を訴えたものであることからして、右運転が本件発症の原因であるとは考え難いことが認められる(この認定に反する<証拠略>は、<証拠略>に照らし採用しない)。結局右運転が松男の基礎疾病を急速に増悪させたものと認めることはできない。

4  原告は、脳動脈瘤の警告徴候があった後松男が作業に従事したため、脳動脈瘤が破裂したものであるので、業務起因性を認めるべきであると主張する。

<証拠略>によれば、脳動脈瘤が破裂する前に、<1>脳動脈瘤の増大及びその付近の動脈の拡張、<2>脳動脈瘤からの小出血、<3>脳動脈瘤付近の動脈の収縮又は閉塞による脳組織の乏血又は貧血などが生じ、それにより頭痛、吐き気、嘔吐、四肢の麻痺、めまいなどの症状が見られることがあり、右症状を脳動脈瘤における警告徴候と言うこと、松男が本件現場において身体の不調を訴えダンプカーの運転席で横になっていたことは、その後同人の脳動脈瘤が破裂したことからして、警告徴候と推認しうること、警告徴候を示した脳動脈瘤は非常に破裂しやすい状態になっており、右徴候が見られた後は絶対安静が望ましく、何らかの動作をすることにより血圧が上昇すると脳動脈瘤の破裂による大出血が起こる可能性が高いこと、一般的に肉体を動かすことにより血圧は上昇するものであり、警告徴候後は単に日常生活において生じる軽度の血圧上昇でも脳動脈瘤は破裂し得ることが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

原告の右立論に立脚すると、警告徴候後ごく軽度の作業に従事し脳動脈瘤が破裂したときでも、業務起因性を肯定すべきことになるが、警告徴候後は日常生活の起居動作において生じる軽度の血圧上昇でも脳動脈瘤は破裂し得るものであることからして、右場合には業務の遂行が脳動脈瘤破裂の諸原因のうち相対的に有力なものであるとは到底認められないから、原告の所論は採用できない。本件においては、前認定のとおり松男は警告徴候後作業に従事していないのであるから、いずれにしても、本件発症日の業務が本件発症の相対的に有力な原因であると認めることはできない。

5  本件宿舎の居住環境が良くなかったこと、並びに生口電設において健康診断が行われていなかったことが、松男の脳動脈瘤の形成及び破裂に何らかの影響を与えたことを認めるに足る証拠はない。

6  以上説示のとおり、松男の業務が相対的に有力な原因となって脳動脈瘤が形成又は破裂し、本件疾病が生じたと認めるに足りない。

四  以上の次第で、本件処分は正当であり、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 蒲原範明 土屋哲夫 大竹昭彦)

別表 <略>

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